ほくほくほんだな棚卸し

今見た作品、過去見た作品、そのうち見たい作品、棚卸し作業。

アマデウス ディレクターズ・カット  AMADEUS: DIRECTOR'S CUT (2002年:アメリカ )

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監督ミロス・フォアマン

脚本:ピーター・シェイファー

キャストF・マーレイ・エイブラハム、トム・ハルス、エリザベス・ベリッジ、ロイ・トートリス、サイモン・キャロウ、ジェフリー・ジョーンズ、クリスティーン・エバーソール、チャールズ・ケイ、ケニー・ベイカー、ヴィンセント・スキャヴェリ、ケネス・マクラミン、シンシア・ニクソン、リチャード・フランク

 

ディレクターズカットでない方も含めて何度見たことか。初めてアマデウスという作品に触れたのが江守徹サリエリ松本幸四郎モーツァルトの舞台だったことも懐かしい。

 

モーツァルトの音楽の解釈も含めて、サリエリモーツァルトの関係性も実に深く描かれている。

神は私の敵になった。憎き敵だ。あなたはあの若造を選んだ。生意気で下品で幼稚な女たらしを。私に与えられたのは彼の才能を見抜く力だけ。神に正義はない。不公平だ。残酷だ。意地でもあんたを妨害してやる。あんたが愛する秘蔵っ子を必ず破滅させてやる。

愛憎入り交じるサリエリの心持ちは非常に感情移入しやすい。

 

一番好きなシーンはここの辺りである。嫉妬と憎しみにありながらも、オペラ舞台(魔笛)の間中モーツァルトを熱っぽく見つめ、モーツァルトが倒れたら運ぶように指示し、一緒に馬車に乗って彼の家まで行き、ヘロヘロになっているモーツァルトに賛美を贈るサリエリサリエリモーツァルトが作曲と写譜という一つの作業をするシーン。サリエリモーツァルトの作曲のダイナミズムを肌で感じ、自分のコンプレックスさえ忘れて、モーツァルトに尽くす。二人の間には何らかの感情(恐らく音楽への愛情)が昇華されていくのが分かる。その様子はとても感動する。

 

そして、映画の最後サリエリが残す台詞。

あんたも同類だよ。この世の凡人の一人だ。私はその頂点に君臨する凡人の守り神さ。世の凡人たちよ。罪を許そう。許しを与える。すべての人々の罪を。

 この台詞にはいつも泣いてしまう。

 

モーツァルトが作曲し

サリエリが譜に移す作業をしている動画。一番好きなシーン。


Amadeus - Salieri y Mozart

 

上の映画の音声部分をベースに、どんな譜面が出来ていくのか丁寧に表した動画。譜面読めなくてもなんとなく分かる。こんなオーケストレイションを一気に頭で作るモーツァルトの頭の中ってどうなってんの!?天才は違う。他方、サリエリもちょっと待って!とか分からないよ!とか言いながらも写譜していく。この二人のコンビ最強では…と思わずにはいられない。

この動画を何度も見ていくとオーケストラの聞こえてこなかった音が聞こえてくる不思議。とにかく一見あれ。そして、嵌まって下さい。


Confutatis K.626 - Scrolling Score

 

残念でした。ひさしぶりに来てみれば伐採後でした。 

マンハッタン MANHATTAN (1979年:アメリカ )

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監督ウディ・アレン

脚本ウディ・アレン、マーシャル・ブリックマン

キャストウディ・アレンダイアン・キートン、マーシャル・ブリックマン、マリエル・ヘミングウェイメリル・ストリープ、アン・バーン、マイケル・マーフィ、カレン・アレン

 

17歳の少女と42歳の主人公が戸惑いながらも付き合いを深め、主人公は他の同世代の女性と付き合ってみるが上手くいかず、再び、17歳の少女の元へ戻る。

身勝手なようでいて、誠実な申し出を、ロンドンへ旅立とうとしている少女は、自分は半年いても変わらない、「少しは他人を信用してみたら?」と主人公を受け入れる。

 

冒頭十数分のマンハッタンの景色をガーシュインラプソディー・イン・ブルーの音楽をバックに見せるシーンは見る者を圧倒させる。特に花火が打ち上がる箇所は鳥肌ものである。

マンハッタンでサブカルチャーを楽しむ登場人物が羨ましい。作品を観ては感想を言い合う。最高である。 

 

映画の中の人間関係はいたってシンプルで先が読める。だが、それがマンハッタンで起こっているということが映画のテーマである。ウディ・アレンは最近パリやロンドンで映画をとっているが、街を撮らせたら誰よりも魅力的に見せるのはこの『マンハッタン』から始まっていたのである。

また、この映画に限らず、アレンの映画はファンタジーである事が多いと思う。

 


Manhattan - Woody Allen (opening scene_English)

 

Woody Allen Manhattan Ending 

www.youtube.com

 

イヴサンローラン L'AMOUR FOU (2010年:フランス)

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監督:ピエール・トレトン

脚本:ピエール・トレトン、エヴ・ギルー

キャスト:イヴ・サン=ローラン、ピエール・ベルジェ

 

この映画は以下のイヴ・サン=ローランによる引退声明から始まる。

 

お集まりの皆様、今日私は心からの想いを込めて重大な発表をいたします。私の人生及び職業に関することです。私は18歳でディオールのアシスタントになり、21歳で後を継ぎました。そして、1958年、最初のコレクションから成功に恵まれました。あれから44年が経とうとしています。以来ずっと仕事にすべてを捧げて生きてきました。誇りに思います。世界中の女性がパンタロンスーツやスモーキング、ショートコート、トレンチをを着ています。私は現代女性のワードローブを創造し、時代を変革する流れに参加したのです。うぬぼれるようですが、私は昔からかたく信じていました。ファッションは女性を美しく見せるだけではなく、女性の不安を取り除き、自信と自分を主張する強さを与えるものです。人は生きるため、とらえがたい“美”を必要とします。私はそれを追い求めとらえようと苦しみ苦悩にさいなまれ、地獄をさまよいました。恐れ耐えがたい孤独に怯え、精神安定剤や麻薬に頼ったこともあります。神経症に陥り、更正施設に入ったことも。でも、ある日迷いから覚めて立ち直ることができました。プルーストは書いています。“極度に神経質な痛ましくもすばらしい一族に属する”と。望んだ“一族”ではないですが、そのおかげで私は“創造の天国”に昇れたのです。ランボーが言う“火をおこす者たち” と接し、自らを見いだし知りました。人生で最も大切な出会いは自分自身と出会うことなのだと。しかしながら私は今日心から愛したこの職業に別れを告げます。

 

もうこれだけで泣けてくるし、これからどんな濃い内容の映画が始まるんだろうと思っていると、サン=ローランの生涯のパートナーであったピエール・ベルジェによるサン=ローラン葬儀の弔辞に続き、そこからは、ベルジェによる回想インタビューを中心に構成されている。所々でサン=ローラン、ベルジェ両氏の館たちの数多ある美術品が一つ一つ梱包され、運ばれ展示され、オークションにかけられる様子が挟まる。二人のモデルたちのインタビューもある。

 

目を瞠らずににいられないのは独特に収集された美術品たちの美しさ。それぞれの美術品との偶然の“出会い”から、両氏によって同じ目線で選ばれた結晶がそこにある。数の分だけ思い出があり、ベルジュはそれを的確に覚えている。その確たる記憶こそが彼が美術品を手放すことが出来た理由だろうし、逆に美術品に埋もれた生活ができない理由でもあるだろう。

その後少しずつ…幸運にも恵まれて、数々の美術品を手に入れることができた。でも、それは数年の時間の流れではない。20年かかった。20年は長くないと思うだろうか。でも、20年かかった。これらはどれも無秩序にやって来た。まさに“出会い”だ。偶然の出会い、私はそれが好きなんだ。イヴも私もそうやって美術品を集めた。ゆっくりと十分な時間をかけてそろえた。偶然の出会いをした。すばらしいものばかり。」

 

そして、この映画が貴重なのは、サン=ローランのファッションの歴史とそれに纏わる逸話たちである。「見事なデザイン画が4万枚」というモデルの言葉にはぞくっとしたし、逆にベルジェによる「“名声とは幸福の輝かしき葬列”」「名声が彼にもたらしたのは終わりなき苦痛のみ」と神経症を拗らせ引き籠もっていくイヴの姿を表した言葉は恐ろしかった。

 

最後に印象深かったベルジェ氏の言葉を引用したい。芸術家とは…。

 

イヴは時代を理解していた。誰よりも…しかし彼は時代を嫌っていた。それは何なのか。分からない。でもこう考える。おそらく、芸術家は真の芸術家であれば、自らの人生を生きる時時代に添いながらも同時に変革をもたらす。オスカー・ワイルドこんなことを言った、“ターナーが描くまでロンドンに霧はなかった”。我々の代わりに芸術家が世の中を見る。ランボーの“見者への手紙”のように。“火をおこす者”のおかげで人は現実に触れられる。たとえ現実に身を焼いても。

 

 


L'Amour Fou - Trailer

 

日本語版予告よりも仏版予告の方が数倍出来がいいのが分かります。


映画『イヴ・サンローラン』予告編