ドラマ・ファーゴ シーズン1 FARGO (2014年:アメリカ)
脚本:ノア・ホーリー
製作総指揮:ジョエル・コーエン
キャスト:ビリー・ボブ・ソーントン、アリソン・トルマン、コリン・ハンクス、マーティン・フリーマン、パトリック・ウィルソン、チッド・ダンソン、ジーン・スマート、キルスティン・ダンスト、ジェシー・プレモンス、ボブ・オデンカーク
映画と同じくドラマ版にも冒頭にこれは実話であるという注意書きが入るのだが、どちらも全くのフィクションらしい。
なんだよ、ファーゴが意味するところまでこっちは考えてしまったじゃないかと笑ってしまった。
S1E1は見るのに時間がかかった。ほぼ一日かけて分けては見ていた。1話の怒濤のラストまでの伏線張りが異様に長い。
しかし、このドラマの特徴なのだが、動き出すと早い。そして気持ちいい程面白い。
主役のビリー・ボブ・ソーントンは言葉巧みに相手を操る人殺しで、それがまるで悪魔のようで最初は不気味で恐ろしい。でも、シーズンを見続けてるうちにソーントンのやり口が痛快になってくる。
他方、もう一人の主人公、マーティン・フリーマンは弱気でうだつの上がらない奧さんにもバカにされているいじけた保険のセールスマン。このドラマでは、そんなマーティンがソーントンの心理操作と
あなたが正しくて皆が間違ってるとしたら?
と書かれた地下室に貼ってあるポスターの言葉に背中を押されて、破滅の道を転がっていく様子が克明に描かれている。
堕ちていく中でマーティンの役はどんどん変化を見せ、より歪んだより知恵の回るワルになっていくのだが、驚くのはマーティンの演技の巧みさ。
BBC SHERLOCKのワトソン役でもシャーロックに振り回される役を演じているが、ファーゴのマーティンの演技の精度はそんなものではない。巧い役者なのは知っていたが、その認識をも遙かに超える素晴らしさ。惚れ直さずにはいられない。
他にソーントンとマーティンの関係の真実に近いところを走り続ける警部補役のアリソン・トルマンと、ソーントンに脅されて脅威を感じ一度引くが考え直しアリソンに協力するコリン・ハンクス(トム・ハンクスの息子)も面白い。
アリソンの上司で余り物事を深く考えない(見ている側を苛つかせる)ジム長官にBRAKING BAD、ベター・コール・ソウルのボブ・オデンカークを配し、豪華なキャスティングである。彼は髭のせいで言われるまで気付かなかった。
E6、E7のホワイトアウトの中で視界が効かず、誰が誰を撃ってしまうか分からない中で、逃げるソーントンと、彼を殺そうとする犯罪組織ファーゴから送られた二人組と、ソーントンを確保しようとするアリソンとコリンがそれぞれの相手を狙うシーンは緊迫感が最高潮だった。
全く脚本の素晴らしさとはこの作品の為にあるような褒め言葉である。よく10話もの脚本を一人で書き切ったなと思った。
S2はまた別の事件の話のようなので楽しみだ。
The Story of LESTER NYGAARD | Fargo | Tribute Videowww.youtube.com
fargo lorne malvo tribute/ best moments (spoilers)www.youtube.com
ポンヌフの恋人 LES AMANTS DU PONT-NEUF(1991年:フランス)
監督:レオス・カラックス
脚本:レオス・カラックス
撮影:ジャン・イヴ=エスコフィエ
編集:ネリー・ケティエ
主題歌:レ・リタ・ミツコ
挿入音楽:コダーイ・ゾルターン、ヨハン・シュトラウス、デヴィッド・ボウイ
キャスト:ドニ・ラヴァン、ジュリエット・ビノシュ、クラウス・ミャヒャエル=グリューバー、ダニエル・ビュアン、マリオン・スタレンス、エディット・スコブ
アレックス三部作の三作目だけれど、これはほとんどビノシュの映画と言ってもいいと思う。酔っ払ってゲラゲラ笑うシーンも、花火落ちるポンヌフで踊るシーンもビノシュに目がいってならない。カメラも同じである。ビノシュを追っているとしか思えない。一作目二作目、あれだけストイックにアレックスを追っていたストーリーもほとんどない。
ミシェル(ビノシュ)が去って、
誰もいない。オレに忘れ方を教えてくれる人は
と言ったアレックスは忘れ去られている。
あるいは、パリの映画とも言えるかもしれない。地下鉄でミシェルのポスターが全て燃やされているシーンは壮観だった。
物語前半のドキュメントタッチの映画と後半の夢のような愛の物語、その差異がありすぎてこのノリでいいのかなあと思った。確かに恋愛にはそれくらいの差異が存在するが、映画がそれでいいのか、そういう場合、観客が冷めてしまう恐れがある。
音楽がいいのは毎度のことで、コダーイの無伴奏チェロソナタは勉強になったし、いつも通りデヴィッド・ボウイもかかっており、今回はTIME WILL CRAWLだった。レ・リタ・ミツコもかかっていた。
疾走シーンはさすがに飽きたなと思った。
では、有名どころから
The Lovers on the Bridge (Les Amants du Pont Neuf)www.youtube.com
次は、映画中に使われてない歌によるMAD作品ですが、地下鉄のポスター炎上が加えられているのでUP。
Les Amants du Pont Neuf (AMV) Saliva - Alwayswww.youtube.com
汚れた血 MAUVAIS SANG (1986年:フランス )
監督:レオス・カラックス
脚本:レオス・カラックス
撮影:ジャン・イヴ=エスコフィエ
編集:ネリー・ケティエ
音楽:ベンジャミン・ブリテン
挿入歌:デヴィッド・ボウイ、シャルル・アズナヴール、セルジュ・レジアニ
キャスト:ドニ・ラヴァン、ジュリエット・ビノシュ、ミシェル・ピコリ、ジュリー・デルピー、ミレーユ・ペリエ、ハンス・メイヤー、キャロル・ブルックス、セルジュ・レジアニ
学生時代、アレックス三部作の中でこの作品が一番好きなはずだったが、今回観た感じだと『ボーイ・ミーツ・ガール』の方が好きな感じだ。
ジュリエット・ビノシュよりもジュリー・デルピーの方が好きなのは相変わらずで、それでも、前髪をふーっと吹き上げるビノシュは可愛らしかった。(ミシェル・ピコリを含め)みんな若い!と思わせる中、ドニ・ラヴァンだけが今観ても新鮮な魅力に溢れており、じっと見つめる瞳や引き締まった口元などは、何故学生時代に自分はドニ・ラヴァンを見た目が良くないなどと思っていたのかと呆れた。
汚れた血は若い役者陣にミシェル・ピコリなどベテランを加え幅を持たせ、エンターティメント性も作品に盛り込み、一作目とは異なる映画になっていた。初のカラー作品でもある。
やあ、君が見える。君に言いたい。もし君とすれ違ってしまったら、世界全体とすれ違うことになる。こんな人生ってあるか?僕が愛しているのは君なんだ。君にも今に分かる…。切るよ。
といった魅力的な口説き文句がある一方、前作に続き、
僕の人生は乱雑に書きなぐった下書きだ。何という混沌…。まるで海原の中で崩れていく波のうねりのようだ。決して浜や岩にたどり着けない…。生きる術を学ぶ時間はもうない。もっと生きるつもりだった。まだ何年も何年も。人生を整えるために。
といった若者にありがちな絶望感もあり、一作目と同じく、やはり20代に観るべき映画としかいいようがない。
デヴィッド・ボウイの「モダン・ラブ」を使ったアレックスの疾走シーンは素晴らしい。その後で、
信じる?疾走する愛を。永遠に疾走し続ける愛を。
と来られたら、信じるよーーー!としか言えないと思う。
では、「モダン・ラブ」の名シーンを。ドニ・ラヴァンは実に肉体で魅せる役者である。
Mauvais Sang 1986 - Modern Love by David Bowie scene HD
ジュリー・デルピーの魅力が感じられる動画の方を選びました。
Mauvais Sang (1986) - Leos Carax scene
ボーイ・ミーツ・ガール BOY MEETS GIRL (1983年:フランス)
監督:レオス・カラックス
脚本:レオス・カラックス
撮影:ジャン=イヴ・エスコフィネ
編集:ネリー・クティエ
音楽:ジャック・ピノー
キャスト:ドニ・ラヴァン、ミレーユ・ペリエ、キャロル・ブルックス、アンナ・パルダッチニ、バンス・メイヤー、エリー・ポワカール、クリスチャン・クローレック
アレックス(ドニ・ラヴァン)は失恋したばかり。恋人フロランス(アンナ・パルダチーニ)は親友のトマ(クリスチャン・クロアレック)の元へ去った。アレックスは壁の絵の裏の「自分史」に新たに書き入れる。
最初の殺人未遂、83年5月25日。グロ・カユーの河岸にて
一方、ミレーユ(カミーユ・ペリエ)も恋人のベルナール(エリー・ポワカール)と喧嘩別れした。
外に出たベルナールがインターフォンの中のミレーユと話すのを聞きとめたアレックスは、 ベルナールの跡を付けてカフェで彼のメモを拾う。ミレーユとベルナールに宛てたパーティの誘いだった。
アレックスはそのパーティにベルナールの友人と称して入り込み、ミレーユの姿を追う。既に彼は彼女に恋している。
キッチンで出会った二人はとりとめなく話し続ける。
ミレーユのアパートでは、ドアから水が漏れている。部屋の中に飛び込んだアレックスが床にうずくまったミレーユの背中を抱きかかえた途端、ミレーユのセーターの胸に赤い染みが広がる。ミレーユはその手にハサミを持っていたのだ。
ゴダールの作風の影響を受けていることはすぐに分かったけれど(編集、SEから)、五月が舞台であること、キートン、コクトー、トーマス・マンの作品のオマージュだということは分からなかった。だが、作品を見て感じたことがこの映画の感想でいいと思う。
破局を迎えた二つのカップルのそれぞれ男女が出会い恋する映画だけれど、この映画で大事なのは、作品を通して常に流れている孤独感。一人であることから逃れたいという足掻き。その題材が監督やキャストの若さを実に物語っていると思う。これは20代に見るべき映画だと思った。
大学時代にこの作品を見て記した引用メモには、
逃れたいモノローグや言葉の奔流から。苦悩を音楽にしたくない。恋人を言葉で殺したくない。でも黙れば彼女が自殺する。キスも唇をふさげない。
ぼくは飛びたい。重すぎる。トラックのようだ。ぼくは生き返らない、決して。
今でもよく分かる。でも昔と違うのは、言葉の奔流と上手くやっていく方法を身につけたこと。今は辛くはないこと。
アレックス三部作の第一作目は、ほとんど一方通行の恋愛だった。
では、三部作にそれぞれ一曲は流れるデヴィッド・ボウイの歌のシーンを見てみましょう。
David Bowie - When I live my Dream (Boy meets girl)
ベリーショートにしたミレーユ・ペリエ、綺麗です。
ロスト・イン・トランスレーション LOST IN TRANSLATION (2003年:アメリカ,日本)
監督:ソフィア・コッポラ
脚本:ソフィア・コッポラ
撮影:ランス・アコード
編集:サラ・フラッグ
音楽:ブライアン・レイツェル、ケヴィン・シールズ
キャスト:スカーレット・ヨハンソン、ビル・マーレイ、ジョヴァンニ・リビシ、アンナ・ファリス、藤井隆、ダイアモンド☆ユカイ、林文浩、竹下明子、HIROMIX、藤原ヒロシ、桃生亜希子
眠れない夜に見たくなる映画がまた一つ増えて嬉しい。
何もかもが丁度よくて、心地よい気持ちでいっぱいになれた。
その時々の恋愛をしている時期のことを思い出したりした。
スキンシップの距離がなんとも絶妙で、視線の絡まり合いとか、そんなところでお酒に酔うように映画を見た。
一番好きなシーンは、スカーレット・ヨハンソンがビル・マーレイの太ももに素足の指先だけで触れていたら、ビル・マーレイが手でそれを包むところ。こういう細かい演出は女性特有の感性だよなと思った。
マシュー南(藤井隆)とHIROMIXにちょっと笑った。二人とも懐かしい顔していた。
まだ私が馴染んでいた頃の渋谷だった。
最後に、それまでビルディングのネオンばかり写していたカメラがそれより上の空を写し出す。それがなんとも開放感があって、マーレイとヨハンソンの二人の関係も解放されたんだなと思った。なんとも気持ち良かった。
本当にいい作品。こんな作品がまだブルーレイ化されてないのはおかしい。
追記:日本のウィスキーのCM撮影でつけたマスカラを取らずにホテルのバーに現れるビル・マーレイがセクシー。
追記2:サントラが素敵。
まずは、映画のテーマ音楽になった歌でどんな雰囲気なのか見て頂きましょう。
The Jesus And Mary Chain - Just Like Honey (Lost in Translation OST) www.youtube.com
次に作中に使われていない歌のMAD作品ですが、私の好きなシーン、スカーレットがビルの太ももに足の指だけくっつけているところにビルがそっと手で包むところをよく編集しているものです。
The Morning After Girls - Still Falling (Lost In Translation)
次は、映画を見終えてからあれ?と疑問になると思うので、そこのネタバレです。(ネタバレはブログでやってますがw)見終えたら、またいらして見て下さい。ビル・マーレイはスカーレット・ヨハンソンに何を囁いたのか。
家族の波紋 Archipelago (2010年:イギリス)
監督:ジョアンナ・ホッグ
脚本:ジョアンナ・ホッグ
撮影:エド・ラザフォード
キャスト:トム・ヒドルストン、ケイト・フェイ、リディア・レオナルド、クリストファー・ベイカー、アンドリュー・ローソン、エイミー・ロイド
ひとつの体験を共有する映画だった。
ひとつの映画の中の家族を通じて、自分の家族とも出会う作品だった。もうこれ以上耐えられないと思う場面もあった。
だが、別れ際には寂しさを感じ、しかし同時にホッとするあの独特な体験を映画を通して感じた。
この作品中全て固定カメラにすることで美しい島の画を支え、鳥たちの声やざわめく緑の自然音をずっと流し続けることで音楽を必要とせずとも耳を楽しませた。
この作品初主演作にしたトム・ヒドルストンはとても幸運であっただろうが、彼の個性には非常にマッチしていた。素晴らしい演技だったと思う。
家族に絵を教える画家の先生役が非常に貴重な台詞を多く残していた。
抽象とは削ぎ落として簡素化することだ。蒸留とも言える。つまり抽象という実態が存在するわけじゃない。抽象とは重要な情報をシンプルにして絞り込むこと。自分の意図を明確に伝えられる。僕の絵の指導は独特で、まず具体的な描き方を教える。そこに混沌の考え方も取り入れる。そういう感じで今回の絵の旅を進めよう。いわば無人島で二頭の馬を競わす感じだ。具体とカオスの二頭の馬。どちらかが先行するけど、地味なのは意図だ。技術も必要だ。
何をするかは問題じゃない。強い信念をもてるかだ。君自身に確固たる思いがあるなら、人も説得できる。作り事は通じないよ。やがて人は信じてくれる。自分さえ信じればね。どこかに道が隠されているわけじゃない。そんなものはない。
強くなるというのは、自分の道を進むことだ。君自身の中にあるものを信じろ。それが重要なことだよ。まだはっきりせず、正確に言えなくてもね。誰かに“これだ”ときちんと言葉で表現できなくても、とにかく時間はかかるよ。自分の思いに至るまではね。すぐ気付く人もいるよ。僕は時間がかかった。その方が良かった。いろんな見方を学べた。
最強のふたり Intouchables (2011年製作:上映日:2012年09月01日:製作国 フランス)
監督・脚本:エリック・トレダノ、オリヴィエ・ナカシュ
撮影監督:マチュー・ヴァドピエ
編集:ドリアン・リガル=アンスー
美術:フランソワ・エマニュエリ
音楽:ルドヴィコ・エイナウディ
キャスト:フランソワ・クリュゼ、オマール・シー、オドレイ・フルーロ、アンヌ・ル・ニ
ピアノのテーマ音楽が良かった。夜のような、明け方のような。そこにフィリップが好きなクラシックやドリスが好きなブラックミュージックが混じる。音楽のセンスがとてもいい。
首の付け根から下が不自由なフィリップは介護人を探して面接している。しかし誰もピンと来ない。だが、音楽の趣味も絵画の趣味も合わないのに、一目惚れのように、その場に相応しくないようなドリスを気に入ってしまう。
最初は介護も上手くいかないが、少しずつドリスは学んでいく。学ぶと言う姿勢は彼の一番の美徳なのだ。そこにこの映画の希望がある。
コミカルに進んでいく。しかし、フィリップが体が辛くて一人で過ごせない夜がある。そんな時に
心配ない。ゆっくり呼吸をして。大丈夫
こう言ってくれる人が一人でもいるのは感動的だ。外に連れ出して喋り相手になってくれる人がいる安心感。
ドリス役のオマール・シーが何しろ完璧なまでに顔立ちが美しい。その美しさは内面を写し出したかのようだ。
一番好きなシーンは、フィリップの誕生日で、お堅いクラシックのコンサートの後、フィリップとドリスがお互いに好きな曲や歌を流すというシーンだ。フィリップは、ヴィヴァルディの四季から夏、無伴奏チェロ組曲。四季の春を流した時には、職業安定所の音楽だ!とドリスは言い出す始末。一方で、ドリスは自分のiPhoneをスピーカーに繋げてアース・ウィンド&ファイアをかけて踊り始める。周りの客達、一緒に住んでいる助手達も誘う。一転してそこはディスコフロアに。この映画で一番光を感じるシーンである。
フィリップは文通相手のエレオノールに想いを寄せている。そんな彼女との初顔合わせ、すれ違いから二人は会えない。傷ついたフィリップはドリスを連れて、飛行機をチャーターしパリを離れる。その地で二人はパラグライダーに乗る。初体験のドリスは恐がり、体が健康な時から乗っていたフィリップはノリノリ。そこでバックにかかるのが雰囲気たっぷりのジャズ。かっこいい。
帰ってきたドリスを待っていたのは、スラム街に住む悪い仲間の中で何かヘマをやらかした弟。フィリップは、例え道で会ったとしても君の弟だと解ると言うが、ドリスとは血の繋がってない弟だった。ドリスは身の上を語り、ドリスは本当の名前ではなく、あだ名が呼び名になったのだと言う。
ドリスがフィリップの元を去る時には、次の介護人の面接が始まっていた。
フィリップの助手のイヴォンヌも良い役者だった。暖かい人柄が滲み出居る演技だった。
ドリスが去った後のフィリップは太陽を失った月のよう。イヴォンヌの外出もあり、新しい介護人はフィリップと上手くいかない。
機嫌が悪いだと、馬鹿め。
古巣に戻ったドリスは仲間たちと一時の再会を喜ぶが、職探しもなかなかだ。そんな時、フィリップに一人で寝付けないあの夜がやってくる。帰宅していたイヴォンヌはドリスを呼び、ドリスは郊外のホテルへフィリップを連れ出す。フィリップはドリスに髭を剃って貰い彼のおかげで笑顔を取り戻した。翌朝、ドリスが予約したホテルのレストランでフィリップを待っていたのは彼の文通相手エレノアだった。
The Intouchables - Dance Scene [HD 1080p]
Ludovico Einaudi - Una Mattina